マタイ16・1-4
ファリサイ派とサドカイ派というグループが手をくんで、イエスを試そうとして、天からのしるしを見せてくださいと、来ます。イエスは、彼らの前で奇跡を行いませんでした。どんなに神さまに愛されていると伝えても、心が閉ざされていては、無理だからです。
彼らたちは、絶対的に自分が正しいと思い込んでいました。自分が変わろうとする、柔らかい、へりくだった心はありませんでした。イエス様が求めていたのは、柔らかい、幼子のような心でした。イエス様の前でへりくだり、自分は何も分かっていないと認め、心を新たにして耳を傾けてゆきましょう。
感想
・ファリサイ派とサドカイ派は、仲が悪かったと思われる。ファリサイ派は死者の復活を認めていたが、サドカイ派は認めていなかった(使徒23・8参照)。サドカイ派は神殿の権威にもっていた祭司であり富裕層に人気があったとされる。
・イエスを試そうとして、しるしを見せてほしかった。心は頑なになつており、閉ざされていたと思われる。
・よこしまで神に背いた時代は、しるしを欲しがる。イエスは、奇跡を行わず、彼らを残して立ち去った。
・ヨナのしるしとは、マタイ12・40に記されている。「つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。」。イエスの十字架と復活のしるし以外は、しるしは与えられないと言っている。