マタイ6・9 聖書協会共同訳
だから、こう祈りなさい。/『天におられる私たちの父よ/御名が聖とされますように。
あなたって、弱点が多いよね、と言われたら、「そんなことはない」と反論するでしょうか。それとも、「確かにそうだ。でも、そんな私が大好き。なぜなら、そんな私でも神さまに愛されているから」というでしょうか。自分の弱点や欠点を素直に認められる人は、どんな言葉も心に攻撃してこないのです。
私たちは、神さまの子どもです。どんな時も、愛されているので、自分の弱点や欠点も愛していいのです。天におられるお父さんは、子どもに弱いところがあっても、変わらずに愛してくださいます。神の愛こそ、私たちの信仰の土台です。
天におられるとは、遠い世界の話ではありません。どこにいっても、神さまはそこにいます。どんな場所にいようとも、神さまはそこにいます。私たちのところを忘れないのです。
メモ欄
・アッバとはアラム語で、幼児が父親につかう言葉。パパ、父ちゃんという意味。
・ロマ8・15
あなたがたは人を奴隷として、再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは『アッバ、父よ』と呼ぶのです
・父親は、子どもが自分の良さを忘れたと思っても、神はあなたの良さに気づいてくださる。
・どんな罪があろうとも、父よと呼びかければ、子どもに答えてくださいます。
・天におられるとは、遠い世界の次元ではなく、永遠の愛、無条件の愛を与えて下さる方を指し示している。手をのばせば、私たちは天に届くのである。
・神の愛は、私たちが神を忘れようとも、神は忘れることはない。
・聖とされまうようには、父の偉大さに対する賛美と、すべてのものが父の姿を知り、神を愛するようにとのイエスの願いがある。
・神の聖は、私たちの行いや生活に、映し出す。
・神の聖が広がると、悪霊は恐れている。マルコ1・24は、「ナザレのイエス、構わないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」と書いてある。