マタイ6・11 聖書協会共同訳
私たちに日ごとの糧を今日お与えください。
私たちは、毎日お腹がすきます。しかし、自分だけ満たされても、人は幸せにはなれません。食べ物をわかちあって、幸せになれるのです。ですから、「わたしたちの日ごとの糧を今日与えて下さい」と、わたしたち、と祈るのです。私だけの食料ではありません。自分中心から、この祈りは解放してくださるのです。
ただし、ご飯だけ食べていても、人には愛が必要です。「自分は愛されているんだ」という確信が必要です。そのために、イエスは私たちの魂を満たすために、来てくださいました。イエスによって、私たちの魂の飢えは満たされるのです。神さまの御心とは、「一人一人を愛している」ということです。この私も、愛してくださるのです。
私たちは、ご飯を分かち合ってゆきましょう。そして、神さまがいつも、命を支えてくださっている事を覚え、祈りましょう。神さまは、私たちの命を支えておられる方なのです。
メモ欄
・主語が、わたしたちに、変わっている。主の祈りは、ここから、日ごとの糧、罪の赦し、誘惑の問題にかわっていく。
・前半の3つの祈りは、あなたが主語だった。御名が聖とされますように、御国が来ますように、御心が行われますように。
・生きることと、食べることは密接である。
・わたしたちの日ごとの糧ということは、分かち合わなければならない。
・自分だけに食料をためておこうとする自分中心から、解放されてゆく。
・パンだけあっても、人は生きてゆけない。魂の飢えのためには、魂の飢えも満たさなければならない。イエスだけが、満たしてくれる。ヨハネ6・35「イエスは言われた。「私が命のパンである。私のもとに来る者は決して飢えることがなく、私を信じる者は決して渇くことがない。」