マタイ6・1-4 聖書協会共同訳
「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から報いが受けられない。だから、施しをするときには、偽善者たちが人から褒められようと会堂や通りでするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。よく言っておく。彼らはその報いをすでに受けている。施しをするときは、右の手のしていることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを隠すためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」
人からの評価に気が散って、神さまの愛を忘れてしまう時があります。人からの評価で一喜一憂していては、疲れはててしまいます。私たちの土台は神さまの愛。どんなときも、受け入れてくれる神さまの愛に気づく時、人の評価によって一喜一憂していることから、解放されるのです。
私たちは誰もが、神さまに愛されている神さまのこども。もし困っていたら、放っておくことなんてできません。善行も、人から評価されるためにするのではなく、ただ兄弟姉妹だからすることです。誰もが、一人一人愛されているのですから、助け合うのが当たり前。
一人一人が、神さまに愛されている。自分の人生には意味があると、思えますように。
メモ欄
・褒められるためにしていたら、評価に敏感になり、ビクビクしてしまう。
・褒められることに意識がいき、かえって自分を束縛してしまう。
・人からの評価によって、自分の価値を判断してしまうわたしたち。
・神さまの愛に土台をおく。