マタイによる福音書


マタイ251-13

 

希望とは、何十年も待ち続けることができる信仰です。神さまには神さまの時があると信じ、神さまは自分の思った通りにならなくても、必ず私を救ってくださる、と確信してもよいのです。

 おろかなおとめは、神さまには神さまの時があることを忘れていました。自分の思ったときに花婿がくると勘違いしていました。

 私たちは、人生「こうでなければならない」と思う時に、疲れます。理想をおいかけてばかりで、現実を無視してしまいます。しかし、「こうでなければならない」と決めているのは、自分だけ焦っているときがあります。人生は、こうでなくてもよいのです。なぜなら、神さまは一人一人に、最善の道を準備しているから、ゆったり委ねて、かまえていればよいのです。

 賢いおとめのように、希望という油を常にもっていて、いつまでも神さまを待ち続けましょう。

 

黙想

・愚かなおとめは、自分の思ったときに花婿がくると思っていた。

・賢いおとめは、花婿には花婿の都合があると思っていた。

・神さまには神さまのときがある。

・自分の思った通りにならなくても、神さまは必ず私を救ってくださるという信仰。

 

片柳弘史神父のブログ、バイブル・エッセイを参照しました。

https://hiroshisj.hatenablog.com/entry/2020/11/08/164114