マタイによる福音書

マタイ1532-39

 

イエス様は、弟子たちを呼び寄せて言われます。「群衆がかわいそうだ。もう3日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のまま解散させたくはない。途中で疲れきってしまうかもしれない。」イエス様は、群衆という単位でみているのではなく、一人一人を見ておられます。一人一人の名前を呼び、一人一人を愛しておられます。

 お腹がすいているのかな、とイエス様は憐れまれたのでしょう。人間は食べなければ死んでしまいます。私たちは、食べ物をわかちあう時代になっているのかもしれません。飢えている人たちに、困っている人たちに、何もかはできなくても、何かはできるかもしれない。そのような、神の子としての使命が与えられています。イエス様は、大切なことは繰り返し同じ奇跡をなさっています。それは、現代の教会へ向けての、イエス様の熱意かもしれません。

 大きなことはできないかもしれない。けれども、小さいことに愛をこめて、すごしてゆきましょう。家庭を大切にしましょう。家族の食事を大切にしましょう。

 

感想

・山上の上で、イエス様は癒しと、供食を共にされます。山上の説教を思い出します。

・山上の説教が教えだったとすると、今日の聖書箇所は、具体的に愛するということは、どういうことなのか、イエスは示されているのかもしれません。それは、人を癒し、食べ物をわかちあうことです。

・イエス様は、繰り返し同じ奇跡をなさいます。それは、わずかなパンと魚を増やす、という奇跡です。弟子たちの心は鈍くなっていたのでしょうか。イエス様は、何度でも弟子たちがわかるように、大切なことを繰り返し行う方。それほど、食べ物をわかちあうということは、イエス様にとって大切なことだと、気づかされます。

・私たちの教会も、食べ物をわかちあうことが大切かもしれません。コロナ禍のなかで、共に食事をすることが少なくなっていますが、フードバンクなどへの献金、ボランティアが、求められる時代であるかもしれません。