マタイによる福音書


マタイ2118-22

 

「信じて祈るなら、求めるものはなんでも得られる」とイエス様は言いました。何が与えられるのかは神さまの御心ですが、信じる大切さをイエス様は励ましています。

どんなに絶望していても、天のお父さんは希望を与えて下さいます。ですから、絶望しなくてよい、ということです。絶望してしまうと、自暴自棄になってしまい、できることさえできなくなってきます。

 私たちは、疑うこともできますが、信じることもできます。自分は神さまに愛されていると疑うのではなく、「私は神さまに愛されているんだ」と確信してよいのです。神さまに愛されているのは、間違いないことだからです。神さまの愛が届いていないのは、心で疑っているからです。心を開き、神さまの言葉を受け入れましょう。信じているなら、求めるものは得られるのです。

 

黙想

・疑うとは、二つの心がある。神さまの愛を信ずるか、神さまの愛を疑うこともできる。神さまの愛を信じ、礼拝する者でありたい。

 

・イエス・キリストのぶどうの木につながるとき、私たちは赦され、豊かな実を結ぶことができる。