マタイによる福音書


マタイ201-7 新共同訳

「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。

 

ある家の主人は、朝から働いている人も、夕方5時から働いている人も、一日に生きていくために最低必要な賃金で働かせました。夕方雇われた人は、誰からも雇われず、不安だったことでしょう。主人は、繰り返し繰り返し、私たちの生きている生活の場所に来てくださいます。そして、私たちを用いてくださるのです。

 私たちは、朝から働いているのに、賃金が同じなんて卑怯だと不平を神さまにいう者でしょうか。それとも、神さまに今日を生きられる恵みを与えて下さって感謝するものでしょうか。自分自身を喜んでいるでしょうか。

 小さな恵みをも取りこぼさないとしたカナンの女性の信仰(マタイ1521-28)のように、ほんのわずかな恵みでも心から神さまに感謝して生活してゆきたいと思います。神さまは、それ以上でもなく、それ以下でもなく、一人一人にふさわしい恵みを、ちょうどいいように与えて下さっています。

 

黙想

5時から働いた人は、とても不安だったことでしょう。今日も、誰も雇ってくれないということは、食べていけない、ということです。それに比べて朝から働いている人は、平安だったことでしょう。仕事もあり、今日の一日が保障されているのです。

1デナリオンとは、1日の賃金であり、生きていくための最小のものだったことでしょう。

・神さまは、繰り返し労働者のところにやってきてくれる。不安を感じている人、悩んでいる人のところにやってきてくれる。

・朝から働いている人は、不平を言います。なぜ朝から働いている私たちと、後から働いている人たちの賃金が一緒なのですか。不公平ではないのですか。

・後になって働いた人は、「神さまありがとうございます。私は今日、どうやって生きていくのか分かりませんでした。食べていくお金もありませんでした。しかし、あなたが私を拾ってくださいました。この命の恵みに感謝します」と言ったのではないでしょうか。

・私たちは、神さまに不平を言う人でしょうか。感謝する人でしょうか。

・普通に生きている時は、その恵みを忘れてしまい、それ以上を求めてしまっているのではないでしょうか。

 

・神さまは、今の自分を喜んでくださっています。賜物も才能も、神さまはそれぞれにふさわしいもので、ちょうどよくしてくださっています。今自分自身を喜んでいるでしょうか。それとも、不平をいっているでしょうか。