マタイ55 聖書協会共同訳

へりくだった人々は、幸いである/その人たちは地を受け継ぐ。

 

へりくだるとは、自分は何もしっていないと思い謙遜になることです。へりくだるとは、柔らかい心です。神さまは、私たちのありのままを愛しておられます。良い部分も、悪い部分も愛しておられます。心を耕し、柔らかくするときに、神さまの愛を受けとめることができます。「神さまに愛されている」ということを、そのまま受け止められるようになります。大切なのは、心を開いて神さまを信頼していることです。

 そのような人は、地を受け継ぐ、といいます。それは、力によってこの世界を支配できる、という意味ではありません。神さまの国は、へりくだり、愛によって支配される、ということです。悲しんでいる人が、貧しい人が慰められる社会を作っていこう、ということです。そのようなものが、この大地を受け継ぎ、神の子としての使命を果たしてゆけるのです。それは、強い人ではありません。能力がある人ではありません。ただ自分が、何もできなく、弱く、不完全であると認め、へりくだる者に与えられているのです。

 神さまの前で、へりくだり、謙遜になって歩いてゆきましょう。

 

メモ欄

・へりくだるの反対は、傲慢だろう。へりくだるとき、自分の心は耕せられ柔らかくなる。

柔らかい心は、ありのままの自分を受けとめられる。良い自分と悪い自分を受け入れられる。

・イエスがへりくだって、私たちを受け入れてくれた。弱い自分、欠点のある自分を受け入れてくれた。自分を受け入れてよいのである。

・自分自身の力でへりくだることはできない。神さまに助けられて、受け入れられて、はじめてへりくだる者とされる。

・地を受けづくとは、力による支配ではない。神さまの支配によって地を受け継ぐ必要がある。この地は、悲しんでいる人が、罪をおっている人が、慰められる地でなければならない。わたしたちはそのような大地をつくっていかなければならない。

・しかし、一人では、そのような大地を作っていけない。いつも、へりくだって神さまの助けを受けることによって、はじめてつくっていけるのである。

・自分自身が弱さや欠点がある。イエスさまの助けによって、隣人に寄り添うことはできる。私たちに、そのような使命を与えられている。人間はロボットとして創られていない。自由な存在として、能動的である。能動的に、神の愛による支配になるように、使命が与えられているのである。

・旧約聖書では、詩編379で、「悪をなす者は絶たれ/主に望みを置く人こそが地を受け継ぐ。」と書かれている。まい3711で「苦しむ人が地を受け継ぐ。/彼らは豊かな平和を楽しむ。」と書かれている。