マタイによる福音書

マタイ1125-30 新共同訳

25 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。

26 そうです、父よ、これは御心に適うことでした

27 すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。

28 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。

30 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

 

感想

・この天と地は、不思議なもの、美しいもの、壮大なもので満ちあふれている

・詩編82-3には「主よ、我らの主よ/御名は全地でいかに力強いことか。/あなたは天上の威厳をこの地上に置き 幼子と乳飲み子の口によって砦を築かれた。/敵対する者に備え/敵と報復する者を鎮めるために。」とある。

・幼子のような者になろうとしても、なれるものではない。努力によってなれない。ただ、神さまの恵みによって、はじめて可能である。信仰すらも、神さまの選びの賜物。

・イエス様に、まことの安らぎ、慰めがある。

・軛(くびき)をおうとは、自分の思い通りにならない事もある。束縛もある。しかし、その中に、本当の自由がある。安心がある。

・祈りによって、自分の本当に背負うべき荷物がわかってくる。余計な荷物は、神さまの前におき、改めて歩みなおして歩むことができる。祈りは、荷物整理に似ている。

・幼子のような者とは、自分はなにもしっていないと謙遜な者。賢い者は、すべて知っていると思い込んでいる者。そこには、もう成長がない。自分がまだ未熟な者である、とおもうものにこそ、成長がある。