マタイによる福音書

マタイ1246—50

 

イエスの母マリアと兄弟たちが、イエスを心配しにやってきました。イエスをそのまま放っておくことはできなかったのでしょう。

 そのとき、イエスは言われました。「わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母なのである」と。天の父の御心とは、イエス様が示してくださいました。一人一人を、かけがえのない大切な存在とすること。一人一人は、神さまに愛されていること。そして、私たちが互いに愛し合うことによって、天の父の御心を行うことができます。そのとき、私たちは、神さまの家族であり、神さまの子どもになれるのです。もはや他人ではないのです。イエス様の愛のなかで、神の家族になりましょう。

 

感想

46節の「その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた」とは、身内のものがイエスが気が変になったのではないかと心配しにきた、ということです。

・家族としては、イエスをそのまま放っておくことができなかったのでしょう。

・外に立っていたとは、イエスとの距離が書かれている。

・神さまの御心を行う者は、誰もがイエスの家族になれる。

・外に立つのではなく、イエスの内に立たなければならない。

 

49節の「弟子たちの方を指して言われた」の指しては、手を差し伸べて、と言う意味。イエスの家族になったものは、家族になるのではなく、守られ、養われ、育まれるのである。