マタイ15・21-28
カナン人の女性は、ねばり強くイエス様に憐みを求めました。何を言われても、否定されても、びくともしません。娘が悪霊にひどく苦しめられています、とカナンの女性は言います。しかし、イエス様は23節で「イエスは、何もお答えにならなかった」とあるように、無視されたのです。イエス様は愛なる方なのに、どうして振り向こうとしなかったのでしょうか。
しかし、女性はどこまでもついてゆきます。
私たちは愛されて当たり前と、神さまに思っていないでしょうか。しかし、神さまに愛されているとは、本当は驚くべきことです。たとえ、弱く、罪におぼれていたとしても、そこから救いあげてくださり、愛してくださるのは神さまです。どんなに頑張っても、どんなに汗をながしても神さまと和解できなかったのに、イエス様のおかげで神さまと和解できるのです。
カナンの女性のように、わずかな恵みでも感謝しましょう。一つも、恵みを取り残さないように、ねばり強く神さまに憐みを求めましょう。
感想
・カナン人は、当時のユダヤ人からみて、ただの異邦人の民ではなく、汚れた民だとされていた。
・ありのままに愛されているのは、当然です。しかし、愛されて当然と、慣れてしまうのが怖いのです。神さまにしつこく、私を憐れんでください、わたしを愛してください、主よ助けてください、と願っているでしょうか。愛してくださるのが神さまだと慣れてしまったら、悔い改めることもできません。慣れ程怖い者はありません。愛されているのは、事実ですが、愛されていることを日々改めて感謝し、喜びましょう。
・ほんのわずかな恵みでも、カナンの女性は感謝しました。謙虚な心は、わずかなものでも感謝できるのです。
・「あれもたりない、これもたりない」と言わず、わずかな恵みを感謝したいものです。
・カナンの女性を、子犬と呼んだのは不思議ですが、イエス様が試したのかもしれません。イエス様には、もともとこの女性を救いたいという心があったかもしれませんね。