マタイによる福音書


マタイ4

12 イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。

13 そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。

14 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。

15 ブルンの地とナフタリの地、 湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、 異邦人のガリラヤ、

16 暗闇に住む民は大きな光を見、 死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」

17 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。

 

イエスは、自分の故郷ナザレを離れました。自分の住み慣れた場所を離れたときには、どれほど勇気がいたことでしょう。イエスも、様々な寂しさを抱えていたかもしれません。しかし、神さまは共におられましたから、イエスは勇気をだして出発したのでしょう。

 イエスは、私たちの光でした。私たちは暗闇の中に住んでいて、「私は愛されていない人間だ」と思い込んでいる、闇の世界に住んでいました。ところが今や、イエスは光となって私たちを照らしてくださいました。それは、一人一人に光をともしてくださったということは、「あなたは、神さまに愛されている。かけがえのない大切な存在だ」ということだと、思います。私たちは、神さまの光をうけて輝くのです。世の光として、輝くのです。ありのままで輝くのです。無理をして、自分以上になろうとしなくてよいのです。

 イエスさまは、悔い改めよ、といいました。今まで自分を中心にしていた生き方から、神さまを中心にする生き方です。闇を向いていた生き方から、光を向いている生き方です。私たちは、イエスという光を見て、神さまに生かされてゆきましょう。

 

メモ欄

・マタイ15-16節は、イザヤ82391節から引用し、マタイが編集したもの。

・ガリラヤは、紀元前8世紀にアッシリアに占領されてから、異邦人が入植し、ユダヤ人から異邦人のガリラヤと軽蔑されていた。宗教や人種が混同していた。

・イエスがガリラヤで宣教を開始し、マタイ2816「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスの指示された山に登った。」と、ガリラヤで終わっている。イエスは、異邦人のガリラヤからはじめ、世界宣教をマタイは視野にいれている。

13節のナザレから離れというところは、イエスの家族と離れた重要な転換期であったことと読み取れる。住み慣れた場所から離れるのは、私たちもそうだが、勇気がいることである。

 

・イエスは光である。悔い改めよとは、暗闇のほうではなく、光のほうを向き、神を中心に、自分の人生の向きをかえることである。