マタイによる福音書


マタイ2636-46

 

イエス様は、ゲッセマネという場所で、弟子たち3人をつれてきます。そして、イエス様は祈られます。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」と祈られます。イエス様にとっても、神さまにすべてを委ねることは、簡単ではありませんでした。しかし、イエス様は、すべてを神さまに委ねて、十字架で息をひきとったのです。

 私たちにとってキリストと共に死ぬとは、恐れや執着、不安などを手放し、神さまにゆだねるとき、私たちは古い自分に死ぬのです。

 キリストと共に生きるとは、「ああなったどうしよう、こうなったら困る」というような思い煩いから解放されるとき、静かに喜びが心を満たしてゆきます。これが、キリストと共に生きる、ということです。

 弟子たちは、イエス様が苦しまれて祈られている時、寝てしまいます。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい、と言われても肉体は弱いのです。

  

黙想

・イエス様の葛藤が読み取れる

・イエス様の中にも、生き続けたいとい願望があったかもしれない。しかし、その思いを完全に手放します。

・「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」の言葉から、イエス様にとっても、完全に委ねることは簡単ではなかったのかもしれない。

 

・弟子たちは、「わたしと共に目を覚ましていなさい」と言われたが、ひどく眠くて、眠ってしまう。