マタイによる福音書


マタイ2414-25

 

ユダはイエスを裏切りました。イエス様は、「生まれなかった方が、その者のために良かった」とまで言います。なぜでしょうか。愛なるイエス様であるはずならば、誰もが神さまに愛されているはずです。では、どういう意味でしょうか。おそらく、こんな苦しみにあうならば、生まれなかった方がよかった、と言ったのだと思います。ユダはその後自殺するからです。

 裏切者はユダだけではありません。ペテロもヤコブも裏切りました。しかし、ユダは自分を裁いてしまいました。裁かなくてよかったのにもかかわらず、自分で裁いてしまったのです。復活したイエスは、おそらくユダも赦していたのではないでしょうか。私たちは、神さまの前で自分で自分を裁いてはいけないのです。なぜなら、裁くことができるのは、神さまだけだからです。どんな時も、十字架をみあげるときに、赦しの雨が降り注がれるのです。

復活したペテロや弟子たちが赦されたように、私たちも赦されるのです。

 

黙想

・ユダに対してイエス様は、「生まれなかった方が、その者のために良かった」とは、さすがにイエス様でも、ひどいと思います。なぜ、イエス様は、このような言葉を言われたのでしょうか。

・「その者」という言葉を手掛かりにすれば、そのような苦しみを味わうなら、ということでしょうか。

・ユダはその後自殺し、それを憐れまれたのかもしれません。

・裏切ったのはユダだけではありません。裏切者のペテロであり、裏切者のヤコブです。誰もが、イエス様を捨てて逃げたのです。

・しかし、ペテロは、そんな自分を赦しました。ユダも、神さまに赦されたはずです。しかし、自分で自分を裁いてしまったのです。そこに悲劇があります。

 

・私たちは、自分で自分を裁かなくてよいのです。神さまの赦しがあるからです。神さまの赦しを信じましょう。