聖書のお話し


「人を裁くな。裁かれないためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量られる。きょうだいの目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目にある梁に気付かないのか。きょうだいに向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に梁があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、きょうだいの目からおが屑を取り除くことができる。(マタイ71-5)聖書協会共同訳

 

イエスさまは、人に「あなたは間違っている」と言うな、と言われました。人は、自分が正しいと思い、相手が間違っている思いやすい性質があります。でも、自分自身を見つめてみたら、どうでしょうか。自分自身だって間違いをおかすし、失敗したりします。友達のことだけ悪くいうのは間違っているのではないか、とイエスは言っておられるのです。

 では、どうしたらよいのでしょうか。それは、友だちの良い所を探せばよいのです。自分にはないけれど、友だちにしかないものがあります。「友達って、すごいんだよ!」と言うことができます。友達の欠点も、そんなに気にならなくなります。友達のよいところを探しましょう。そして、友だちをよくほめましょう。ほめられると、人は嬉しくなります。

 神さまは、私たちをほめてくださっています。精一杯自分の命を生きている時に、ほめてくださいます。自分の命を輝かせて、自分の花を咲かせてよいのです。友達とくらべてばかりいると、自分がわからなくなってきます。友達が好きな物が好き、友だちが嫌い物は嫌い。友達ばかりにあわせていると、だんだん、自分がわからなくなってきます。「あなたの大事なものはなんですか? あなたの本当の気持ちはどうですか」と、自分に質問してみましょう。自分を探してみると、色々な発見があります。自分が好きなことや嫌いなことがわかってきます。それを大切にしましょう。

   友達と比べてばかりいないで、正直になりましょう。だって、神さまは「あなたを」作ったからです。みんなの顔が違うように、自分の花を精一杯咲かせてよいのです。

 

メモ欄

・裁くには、見分ける、判断するという意味がある

・神さまがわたしたちを裁く時には、丸太があるのである

・イエスの十字架の贖いによって、丸太がとりのぞかれ、はっきり見えるようになる。