マタイによる福音書

マタイ622-23 聖書協会共同訳

「目は体の灯である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、目が悪ければ、全身も暗い。だから、あなたの中にある光が暗ければ、その暗さはどれほどであろう。」

 

神様から、私たちは日々たくさんのものを与えられています。食べ物や、命。自分で生きている人はいません。目が澄んでいるとは、心が澄んでいる事です。心が澄んでいて、神さまの恵みをまっすぐに受け取る、ということです。そのとき、私たちの命は輝くのです。自分の力で輝かせるのではありません。自分の力で生きていこうとするとき、私たちの目は濁ります。そして、疲れてきます。人間は、神さまの恵みによって生かされる時、本当に活き活きしてくるのです。たとえわずかなものであっても、感謝するとき、人は幸せになれるのです。あれもこれも欲しい、と言わなくなるのです。ささやかなことの中に幸せを見つけられるのです。

 

メモ欄

・私たちにある光は、神さまが与えて下さった物

・目とは隠喩。性格や品性のことをいっている。

・目が見つめるべきものは、恵みである。神さまから恵みとして与えられているということを、見つめなければならない。恵みを、まっすぐに受け取る。神さまの恵みを素朴に、単純に受け取って良い。

・「目が濁る」とは、神さまの恵みを受け取れない事。

自分の力、財産によって生きていこうとするとき、目が濁る。

・恵みを見つめて、まっすぐに受け取ってよい。

 

・信仰という、内なる希望の光が人間にはある。