マタイによる福音書


マタイ932-34 口の利けない人をいやす

 

2人の盲人が癒されると、悪霊にとりつかれて口の利けない人が、誰かにつれてこられました。おそらく、この悪霊に取りつかれた人を心配してくれた人がいたのでしょう。悪霊にとりつかれて、語ることもできませんでした。しかし、イエス様によって、悪霊は追い出されました。そして、自分の口で語ることができるようになりました。どんなに、嬉しかったことでしょう。

 信仰とは、いつも新しさを伴うものです。いつもイエスのおられるところには、新しい感動があるのです。固定観念を捨てて、イエスの信仰の旅に従ってゆきたいと思います。

 

感想

・悪霊とは、自分ではどうしようもない支配、自分でありながらどうすればよいのか分からないもの。

・イザヤ355-6「そのとき、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。そのとき、歩けなかった人が鹿のように踊り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う」と書かれている。

・イザヤ3510が実現している。「主に贖われた人々は帰って来る。とこしえの喜びを先頭に立てて、喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え、嘆きと悲しみは逃げ去る」

・ファリサイ派の人たちは、34節にあるように、イエスは悪霊のトップで子分である悪霊を追い出している、と思っている。

 

・ファリサイ派は、固定観念にこだわっていた。信仰とは、新しい旅に旅立つことが大切である。