子どもと聖書のお話し


マタイ8章

14 イエスはペトロの家に行き、そのしゅうとめが熱を出して寝込んでいるのを御覧になった。

15 イエスがその手に触れられると、熱は去り、しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした。

16 夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。

17 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。

「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った。」

 

イエスさまは、ペトロのしゅうとめが、熱を出しているのに気づきました。困っている人を、イエスは放っておけません。イエスは、困っている人に愛と癒しを与えられるのです。私たちが困っている時「イエスよ、助けてください」と祈るかもしれません。しかし、困っている前にイエスは、私たちの悲しみや、辛さを知っておられ、近づいてこられるのです。夕方になってからも、イエスは病人をいやされました。一人一人が、イエスにとって大切でした。「あなたは、かけがえのない大切な存在。あなたは、神さまのこども」と、一人一人の手をにぎり、そのぬくもりを伝えた事でしょう。いままで、病によって自分は神さまから捨てられた人間なんだと思っていた人たちは、喜びの涙を流したのでしょう。イエスは、一人一人を愛されたのです。

 

メモ欄

・重い皮膚病の人と、百人隊長の僕を癒す物語は、懇願してくるものに対して癒しを行いましたが、こちらでは、イエスが積極的に癒しを行っていることが、特徴づけられます。

 

17節の最後でイザヤ書5213~5312節に書かれている、「苦難の僕」の詩の一説が引用されています(イザヤ53・4)。イエスをユダヤ人だけの解放者だけではなく、全人類に対する解放者として、マタイは伝えています。