マタイによる福音書


マタイ181-5

 

弟子たちの関心は、誰が天の国で一番偉いのか、ということです。弟子たちの質問に対して、イエスは丁寧に答えています。それは、子どもを呼び寄せて、言われました。「心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」。子どもは、親の愛を疑いません。「自分は親に愛されているんだ」と確信しています。また幼子は、競争しません。誰とも比較せず、自分たち一人一人は、親から愛されている事も知っています。そんな子どもこそが、一番偉いのです。

  

イエスの生きておられた時代、子どもは一人前として認められていなかったのでしょう。子どもは無力な時があります。誰かに支えてもらわなければ、生きてゆけません。しかしイエス様は、子どもという存在を一人の人として、尊敬し、愛されました。一人の子供を受け入れる人は、イエス様を受け入れるとまでいうのです。それほどまで、イエス様は一人の子供の価値を認めていました。それは、何かできるから人は大切な存在なのではなくて、ただ生きているだけで、限りなく尊い存在であることを、イエスは教えられたのです。

 

心を入れ替えて子供のようになるとは、自分の無力さを認めることです。そして、将来のことも、「神さまは必ず一番よくしてくださる」と信じることです。

 

感想

・どの時代も競争が働いている。誰が一番強いのか、一番早いのか、優秀なのか。天の国でも、誰が一番偉いのか、と弟子たちがイエス様のところにきて、質問している。

・そこで、一人子どもを呼び寄せました。素直に、子どもはイエス様のところにきました。子どもは、素直なのです。誰とも比較せず、神さまに自分が愛されていることを疑いません。そんな子どもこそが、天の国で一番偉いのです。

・また、子どもは親を信頼しています。自由です。神さまに愛されていると言われたら、そのまま信頼します。どれほど間違えても、失敗しても、親が正しく教えてくれることを知っています。のびのびと間違いを恐れず、ほほえみが絶えません。

・子どもは弱い存在です。誰かの助けなしには、生きていけないことを知っています。