マタイによる福音書

マタイ221-14

 

天国の婚宴に招かれて、断る人はいるのでしょうか。神さまは、真心をこめて食卓を準備してくださつています。しかし、ある人は、畑に、ある人は商売があるからといって、招きを断りました。

 私たちも、キリスト以外のものに執着があるときに、せっかくの招待を断ってしまうことがあります。キリストと結婚する以上は、富や権力などとは手をひき、キリストに従っていく覚悟が必要です。畑があるから、商売があるからという人は、私たちの姿と重なります。「礼拝に行きたいけれど、仕事が忙しい」、「祈りたいけれど、そんな時間がない」といってしまうのです。そのように考える時、礼拝への招き、祈りの招きを断ってしまっているのです。

 もう一つは、自分は招待に値しない人間だと諦めてしまうことです。神さまからいくら、愛されていると言われても、それを受けとめなければ、神さまの愛は届いてきません。招待が届いた時は、「こんな自分でも神さまに愛されている」と確信し、喜びの婚宴に行きましょう。神さまは、愛したくてしかたがないのです。神さまは、善人も悪人も、婚宴に招待してくださいます。あんな人と一緒にいるのは嫌だとはいわず、一人一人が神さまに愛されている事を認め、共に喜びましょう。

 

黙想

・天の国の婚宴だとすれば、花婿はキリスト、花嫁は教会となる。

・王様は準備が整い、人々を招かれた。しかし、一人は畑に、一人は商売にでかけてしまった。

・神さまの招きがあるのに、自分の力、自分の商売、を大切にしてしまった。

・私たちは、神さまの招きにどうこたえているでしょうか。

・王様は、「町の大通りで、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい」(229)と、範囲を広げました。善人も悪人も、神さまは招いておられます。

11節の礼服とは、イエス・キリストを着ること(ガラテヤ326-27)

・キリスト以外のものに執着がある、ということ。キリストと結婚する以上、富や権力を捨てなければならない。捨てられなければ、婚宴を招待されても、断ってしまう。

・世の終わりの婚宴を待つまでもなく、日々、私たちをキリストの婚宴に神様は招いておられる。

・私たちすべての人を、招いておられる。その招きを断らないように、神さまの愛を受け入れよう。