マタイによる福音書

マタイ121-8

 

イエスの弟子たちは、安息日に空腹を覚えられたので、麦の穂をつんで食べました。これを見ていたファリサイ派の人たちは、腹をたてていいました。「安息日にしてはいけないことをしている」というのです。安息日とは、仕事をしてはいけないから、何をしてもいけないと規定されていたのです。しかし、イエス様は、困っている人を助ける憐れみこそ、大切であることを、言いました。律法は、憐みが中心になければ、人を裁いてしまう道具になってしまうのです。

 また、イエス様は安息日の主である、といいました。イエス様に時間をつかうときにこそ、最も美しい時間です。イエス様に時間を使うとは、困っている人に時間をさき、わかちあい、助け合うことです。なにもかもはできなくても、誰かのために何かはできるのです。神の子としての使命をわきまえて、歩んでゆきたいと思います。

 

 

感想

・出エジプト208-10には「安息日を心に留め、これを聖別せよ。 6日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、 7日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。」と書かれている。

・安息日でも、一定の仕事を祭司に要求している聖書箇所もある(民数89-10)

・イエス様は、律法の文字よりも、慈愛という精神を重んじた

・サムエル記上21章には、ダビデが、安息日にパンを食べたことが書かれている。

・神さまが求めているのは、いけにえではなく、憐み(ホセア66参照)

・イエスこそ、あらゆる時間の中で聖なるもの。イエスに時間を使う時に、愛なるものになる。

・限られた一日のなかで、大切なのは、どれだけイエスに出会うことができたか。どれだけイエスと共に時間をすごせたか。

・神殿よりも偉大なものとは、イエス自身。イエスの憐み。

・律法は、貧しい人や空腹な人を想定して、他人の畑で麦の穂をつんで食べて良いと規定している(申命記2326参照)