聖書のお話し


マタイ538-42 聖書協会共同訳

「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と言われている。しかし、私は言っておく。悪人に手向かってはならない。誰かがあなたの右の頰を打つなら、左の頰をも向けなさい。あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。あなたを徴用して一ミリオン行けと命じる者がいれば、一緒に二ミリオン行きなさい。

 

イエスの愛は無条件でした。私たちを、条件をつけて、何かできたら愛する、ということはなさいません。私たちが、私たちであるという理由だけで愛するのです。ありのままの私たちが、神さまによって愛されているのです。ありのままに愛されたら、今度は隣人に対しても、同じようにすることができます。まだ、他人に苛立ったり、腹をたてているのではあれば、神さまのありのままの愛を信じられないからです。自分の弱点も欠点も受け入れられていたならば、どんな言葉によっても、左右されることはできません。

 私たちは、復讐したいと思うようになります。しかし、イエスは復讐を禁止なさいました。それは、どんな悪人であったとしても、神さまは愛しておられるからです。

 悪人のために、私たちは祈ることが出来ます。自分では、できなくても、聖霊によって助けられる時に、ありのままの自分を受けとめられた時に、はじめて隣人を愛することができるのです。敵を愛するなど、信仰なしに、できることではありません。信仰によって、イエスを見つめることによって、不可能が可能になるのです。ただ、イエスをみつめるときに、道は開かれていくのです。

 

メモ欄

・レビ24・19-20「人に傷害を加えた者は、それと同一の傷害を受けねばならない。骨折には骨折を、目には目を、歯には歯をもって人に与えたと同じ傷害を受けねばならない」

・出エジプト22・25-26「もし、隣人の上着を質にとる場合には、日没までに返さねばならない。なぜなら、それは彼の唯一の衣服、肌を覆う着物だからである。彼は何にくるまって寝ることができるだろうか。もし、彼がわたしに向かって叫ぶならば、わたしは聞く。わたしは憐れみ深いからである」。

・パレスチナの気候は、昼と夜の気温差が激しかった。上着がなければ、命とりだった。

1ミリオンは、1.4キロ

・復讐してはならないは、ただイエスをみつめる時に、不可能が可能になっていくのだろう。常識的に考えて不可能なことも、信仰によって希望が開けるのである。