マタイ5章3節
心の貧しい人々は、幸いである/天の国はその人たちのものである。
イエスは、心の貧しい人は幸せです。天の国は、その人たちのものです、といいました。これを聞いていたのは、弟子たちとともに、群衆です。病気で仕事もできなかった人。社会から疎外されていた人。いろんな人がいたでしょう。みんな、心の空虚感と虚しさを抱えていました。みんな、自分が心か貧しいことを知っていました。そのような人たちに、神さまの恵みが与えられるから、あなたがた幸せなんだよ、とイエスは言われるのです。無理をして、わざとらしく、心の貧しい人になろうとするのではなく、現実の私たちは、心が貧しい状態です。この現実をみて、それでもなお神さまはわたしたちを愛してくださるから、幸せなんだよ、ということです。
メモ欄
・幸いであるは、ギリシア語でμακάριος
この言葉は以下などでも使われている。
しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。
マタイによる福音書 13:16 新共同訳
主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
ルカによる福音書 1:45 新共同訳
あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。
使徒言行録 20:35 新共同訳
・貧しさとは、何一つもたず、物乞いのような貧しさをいう。
・貧しさはギリシア語で、πτωχός
この言葉は、聖書では以下などでも使用されている。
イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
マタイによる福音書 19:21
ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。
マルコによる福音書 12:42
この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。
マルコによる福音書 14:5 新共同訳
「主の霊がわたしの上におられる。 貧しい人に福音を告げ知らせるために、 主がわたしに油を注がれたからである。 主がわたしを遣わされたのは、 捕らわれている人に解放を、 目の見えない人に視力の回復を告げ、 圧迫されている人を自由にし、
ルカによる福音書 4:18 新共同訳
わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか。
ヤコブの手紙 2:5 新共同訳
・心(πνεῦμα)の貧しさとは、自分の心の中には誇るべきもの、より頼むものがないということ。
・天の国とは、神の恵みが支配していること。神の恵みが、心の貧しいものに与えられていることが、幸いなのだろう。
・イエスは、弟子たちだけでなく、群衆にも語っていると読み取れる。イエスは5・1で「群衆」を見て山に上られたと書いてある。また話が終わった、7・28で「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。」と書いてあるので、群衆も意識していただろう。
・旧約聖書から貧しさを見てみますと、イザヤ29・19で「へりくだる者たちは主によって前にも増して喜び/貧しい人々は/イスラエルの聖なる方によって喜び躍る。」と書いてあります。主の言葉におののき、打ち砕かれた心こそが、心の貧しさでしょう。