マタイによる福音書


マタイ2445-51

 

使用人たちに、時間どおり食事を与えさせることにした僕は、言われた通り、奉仕していたのでしょう。たとえ、見られていなくても普段通り奉仕をしていました。神さまが見ていないときでも、謙遜に奉仕をする人は、どんな時も人を分け隔てることはしません。一人一人を大切に思い、大切なお客様として奉仕をします。

 それに比べて、悪いしもべは、主人は遅いと思、自分勝手に食べたり飲んだりしてしまいました。主人にみられていないと思い、他人を殴ったり、好き勝手に食べたり飲んだりしていました。結局は、隣人を自分の思いどおりにしたい、と思ったのでしょう。

 賢い人はへりくだって、相手は相手として尊重しへりくだり、誰のみていないところでも謙遜に奉仕をしていました。悪いしもべは、自分の思い通りにしたいと思い、傲慢になって生活していました。

 一人に対してすることは、神さまにしたことである、とマタイは言います(マタイ2540)。どんなときも、一人の中にキリストが隠されている事を忘れずに、隣人のために時間を使いたいと思います。隣人のために無駄だと思って使った時間は、実は、一番自分のためになる時間の使い方なのです。

 

黙想

・主人がその家の使用人たちに、時間どおり食事を与えさせることにした僕のたとえ。

・主人が帰ってきた時、言われた通りにしているのを見られた僕は幸いである。主人は、全財産を管理させる。

 

・悪い僕は、主人が遅いと思い、仲間をなぐりはじめ、酒飲みどもと一緒に食べたり飲んだりしていた。主人は、予想しない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰した。