マタイによる福音書


さて、イエスは悪魔から試みを受けるため、霊に導かれて荒れ野に行かれた。すると、試みる者が近づいて来てイエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。/「『人はパンだけで生きるものではなく/神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる』と書いてある。」次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の端に立たせて、言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。/『神があなたのために天使たちに命じると/彼らはあなたを両手で支え/あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてある。」イエスは言われた。「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある。」さらに、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその栄華を見せて、言った。「もし、ひれ伏して私を拝むなら、これを全部与えよう。」すると、イエスは言われた。「退け、サタン。/『あなたの神である主を拝み/ただ主に仕えよ』と書いてある。」そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが近づいて来て、イエスに仕えた。(マタイ41-11)

 

私たちは、毎日、ごはんを食べています。しかし、ときどき、寂しいなとか、生きていてもつまらないな、と思うことがあります。どうしてでしょう。それは、心が寂しくなってきて、疲れてしまっているからです。人の心は、神さまの聖書の言葉なしでは、だんだん空しくなってきてしまうのです。そこでイエスは、悪魔の誘惑をうけられたときに、人はパンだけで生きるものではなく/神の口から出る一つ一つの言葉によって生きると答えられました。神さまの言葉には、愛がつまっています。聖書を読んでいると、「私は神さまから愛されているんだ」とわかってきます。そして、「神さまはいつも一緒にいてくれると」と分かって来て、いつも一人ではないんだと、実感してきます。人は、生まれた時から誰もが、神さまとの言葉によって養われるように創られました。なので、みんなが聖書を読むと、安心するのはそのためです。

 私たちは、ただご飯だけ食べて生きているのではありません。目に見えない、愛や、希望によって生きています。大切なものは目には見えません。でも、愛や希望はみんな、心の中にあります。「将来、こうなりたいな」とか、「大きくなったら、こんなことしてみたいな」という気持ちが、みんなの心にあります。心は目にはみえませんが、誰の心にもあります。

 私たちは、神さまの聖書の言葉によって、安心して生きていくことができます。イエスが言われたように、神さまの言葉を食べて聖書を読んで、安心して生きてゆきましょう。

 

メモ欄

・出エジプト記3428節 、申命記918節によれば、モーセも40日、主の前にひれ伏しました。

・「人はパンだけで生きるのではない」は、イエスは申命記83を引用しています。

・第二の、悪魔の試みには、申命記616を引用して答えられています。

・第三の、悪魔の試みは、申命記 613を引用して、神にゆだねています。