マタイによる福音書


マタイ918-26

 

そのとき、イエスはマタイや徴税人、罪びとと祝宴をしていました。そんなときに、ある指導者がそばにやってきて、イエスに頼みました。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」イエスは食事を途中でやめて、立ち上がりました。そして、彼についていかれたのです。

 そんな忙しい時に、12年間病気で出血のとまらない女性が近寄って来て、イエスの服の房にふれました。イエスは、振り向いて、「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言いました。そのとき、彼女は治ったのです。どんなに忙しいときでも、イエスがこだわっているのは、一人です。とことん一人のこだわっているのです。イエスは足を足止めてくださるのです。

 イエスは指導者の家につくと、「少女は死んだのではない。眠っているのだ」といいます。人々は、イエスをあざ笑いました。群衆を外に追い出すと、イエスは家の中に入り、少女の手をおとりになります。すると、少女は起き上がりました。

 イエスは、死さえも克服する方なのです。

 

感想

18節「このようなことを話しておられると」とは、前段落のイエスが食事をしていた時をさしている。

・祝宴から立ち上がり、悲しみ、嘆いていいる人のところへ、イエスは行こうとしている。

12年間も患っていた女性は、宗教的に汚れた存在とされていた

・「元気になりさい」という言葉は、マタイ92でも使用されていた

 ・他の福音書では、一人娘であったと書かれている

・旧約聖書では、よみがえらせる場面は男性だけであったが、イエスは男性や女性に関係なく、よみがえさせた。ペテロも、使徒言行録でタビタという女性をよみがえらせている。