マタイによる福音書

マタイ151-20

 

形だけ守っていても、心が神さまから離れていては、なんにも意味がありません。形式主義、というのは一つの偶像かもしれません。言い伝えだけを大切にしていて、あとは、流れにそって生きてゆこうとするときに、昔からの言い伝えが神になってしまいます。昔からこうしてたから、それでよし、となってしまうのです。

 信仰は、神さまと向き合って、その中で絶えず、考えてゆかなければなりません。イエス様の前で、隣人を愛するとはどういうことなのか、たえず考えてゆかなければなりません。信仰は、いつもチャレンジ精神にあふれているものです。一人一人が、どんなに違っていても、否定せず、異なるものを受け止めあう時に、素晴らしい賜物が作り出されます。

 教会も、形式主義にこだわるのではなく、イエス様の前でいつも新しい自分で、イエス様に従ってゆきたいと思います。

 

感想

・信仰の形や、言い伝えだけを大事にしていてはいけない。「この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている」とイエス様は言われた。

・形式主義に陥ると、それだけ守っていれば大丈夫、と安心してしまう。そして、形式だけにこだわってしまう。また、守られない相手を探し、裁いてしまう。形式主義が、神さまになってはいけない。信仰は、心が大切。

・人間の内側にある心が問題とされている。18節で「口から出てくるものは、心から出てくるので、これこそ人を汚す。悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出てくるからである。これが人を汚す」

 

・食事の前に手を洗わなくても、それ自体、人を汚すものではない、と言っている。