マタイによる福音書

マタイ77-12聖書協会共同訳

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。叩きなさい。そうすれば、開かれる。誰でも、求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者には開かれる。

あなたがたの誰が、パンを欲しがる自分の子どもに、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして、天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださる。だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」

 

私たちは、自分に必要なものも、分からない時があります。現在では物があふれ、何が自分に必要でないのか、必要なのか、混乱している時代です。しかし、神さまは、求めなさい。といいます。自分の気持ちのまま、ありのままに神さまに祈ってよいのです。

 神さまは、私たちに黙っていなさい、とは教えていません。自由意志があります。その自由意志を大切にしていいのです。そして、本当に必要なものは何ですか、と神さまに質問してよいのです。

 そして、絶望する必要はない、ということです。もう駄目だ、といってしまったら、本当にダメになってしまうことがあります。自分は赦されないんだ、と絶望したら、本当に闇の中に進んでいってしまうような気がします。しかし、絶望しなくてよいのです。神さまは、私たちに赦しを与えていますから、自分は赦されるんだ、と確信していいのです。

 他人と比較する必要はありません。他人はどこか遠いところを歩いている気がするかもしれません。しかし他人は他人。自分の歩みの中で、あきらめずに一歩一歩進んでよいのです。大切なのは、諦めない事。神さまの愛にあきらめないことです。

 そして、他人が必要な物は、何なのか。それは、赦しでしょう。自分が赦されたいように、他人も赦されたいのです。他人を赦しましょう。神さまの愛の前で、驚きましょう。神さまは、私たちを、大きな愛で驚かせてくださるのですから。

 

メモ欄

・求める相手がいる。神さまがいる、ということ。

・祈ることで、求め、探し、門を叩くことができる。

・もう駄目だと思ってしまったら、本当にだめになってしまう。

・大切なのは、焦らずに一歩一歩進んでいくこと。絶望する必要はない。

・天のお父さんは、子どもたちの必要なものを知っておられる。

12節は、黄金律とも呼ばれてきた。教えの中の教えと呼ばれてきた。