マタイによる福音書


片柳弘史神父のブログ、バイブル・エッセイ(883)を参照しました。

https://hiroshisj.hatenablog.com/entry/2019/12/08/184631

 

そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。」(マタイ3:1-6)

 

1、洗礼者ヨハネ

洗礼者ヨハネは、とても謙遜な人でした。荒れ野での厳しい生活をしていたので、人間の限界や弱さを知っていたでしょう。自分にできることと、できないことを認め、神さまにへりくだって生活していたと思います。洗礼者ヨハネは、また自分の使命をしっかりもっていました。誰とも比較せずに、自分に与えられた神様からの使命に、精いっぱい取り組んでいました。私たちも、洗礼者ヨハネのようにはなれませんが、神の前で謙虚になることはできます。自分はなんにも知っていない存在だと認め、聖書の言葉に耳を傾けることができます。

 

2、神の愛に心を開く

 イエスさまは、洗礼者ヨハネがまっすぐにした道をとおって、私たちのところにやってきます。しかし、ここで大切なのは、神さまの愛を、受け止めることです。せっかくイエスがやってきたのにもかかわらず、心の扉をしめていては、神さまの愛は、入ってくることができません。「こんな私は救われるはずはない」といって、暗闇の中にとどまり続けてしまうのです。

  そうならないためにも、ただ神さまの愛を受けとめましょう。洗礼者ヨハネは、悔い改めよといっています。それは、自分中心にしていた生き方から、神さまを中心にする生き方です。自分を神さまにする生き方から、神さまを神さまとして認める生き方です。神さまは、私たちが、どんなに汚れ、欠点が多くても、私たちを愛しておられるのです。そんな自分を、大切に抱きしめることができますように。