マタイによる福音書

マタイ141-12

 

洗礼者ヨハネは殺されてしまいます。いつの時代も、自分は正しい、相手は間違っている、という断定によって、大切な命が奪われます。キリスト教の歴史においても、自分たちこそ正しいと思い、同じクリスチャンの間でさえ、争いがありました。改めて、人間の罪を心から悔いる思いでいます。

 しかし、私たちの間違いに絶望する必要はありません。私たち弱さ、罪、間違いを赦すためにイエス様がこられたからです。いつでも、人はイエス様の前で、やり直すことができるのです。どんな時も、チャンスがあるのです。

 

感想

・洗礼者ヨハネは殺されてしまいます。

・私たちの罪や失敗によって、絶望してしまうことがあります。ヘロデや、ヘロディア、ヘロディアの娘は、自分たちこそ正しいと思っていました。その罪は、私たち人間の誰の心の中にもあるのではないでしょうか。

・しかし、私たちの罪、弱さ、失敗すらも、神さまは良きものと変えてくださいます。私たちは、イエス様を十字架にかけました。しかし、そこから救いが訪れたのです。私たちの罪すらも、神さまは良きものへと、救いの道を造ってくださるのです。

 

・神に赦されている者として、喜んでいいのです。そして、隣人をありのままに赦し、共に助け合って、生きてゆく道がひらかれたのです。