マタイによる福音書

マタイ1324-30

 

良い麦の畑の中に、毒麦の種がまかれました。畑を管理を任せられていた僕たちが、毒麦を抜いてしまいましょうかと神さまにいったときに、神さまは「刈り入れるまで、そのままにしておきなさい」と言われました。私たちは、様々な誘惑によって悪い麦になってしまうことがあります。しかし、神さまの愛を信ずるときに、良い麦に変えてくださるのです。神さまは、今日も私たちがよい麦になるように、手入れしてくださっているのです。私たちは、良い麦に変えられたことを神さまに感謝していいのです。神さまの愛と赦しに、目をとめてすごしてゆきましょう。

 

感想

・私たちは、畑で育つ麦。神さまが手入れしてくださって、良い麦にしてくださる。

・造り主なる神さまを忘れて、自分が主人になってしまい、他人を傷つけてしまうことがある。

・神さまは毒麦があるが忍耐しておられる。私たちも、独麦であるかもしれないが、慈しみによって良い麦に変えてくださる。

・近くに毒麦があることは、迷惑かもしれない。だからといって、裁いてはいけない。神さまに委ねなければならない。

・最後の審判の時、良い麦と毒麦の裁きが行われる。裁かれるのは神さまだけである。あなたは、独麦だといっているかもしれないが、神さまにとっては良い麦かもしれない。自分の価値観によって、裁いていけない。

・信仰者の誘惑として、自分は正しい、相手は間違っていると悪魔は誘惑してくる。お互いの違いを認めあい、愛し合うことしか、私たちはできない。

・イエス・キリストの愛をうけるときに、毒麦が良い麦に変えられる。どのように育つのか、神さまは注意して見てくださっている。

 

・人間に、待つことを教えられている。