聖書のお話し


マタイ65-8 聖書協会共同訳

祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。彼らは言葉数が多ければ、聞き入れられると思っている。彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。

 

私たちの心の奥底には、神さまとの二人だけの部屋があります。静かに、神さまと祈れる場所。戸をしめて、そこは自分だけの居場所。人から、よく見られようと祈るのではなく、ただ純粋に、神さまとの祈りの時間です。そういう心の居場所が、誰ももっているのです。 

表面的な祈りではなく、じっくり心の底をのぞいてみましょう。自分が何を神さまに願っているか、自分でも気づいていない自分の思いがあるかもしれません。神さまは、ありのままの気持ちを聞きたいと、思っていると思います。飾らない純粋な思いを、届けていいのです。

神さまは、私たちの気持ちをしっている方。祈る前から、天のお父さんは、自分の子どもたちをよく知っておられます。天のお父さんは、必要なものだけ子どもたちに与えます。私たちは、安心して、天のお父さんにゆだねていましょう。

 

メモ欄

・心にも断層があり、最も深いところには、誰もはいってくことができない。

・しっかりドアに入り戸をしめて、そこは自分だけの居場所。そこで、神さまと二人で祈ることができる場所がある。

 

・祈りといいながら、自分のために、良く見られたいがためにするときがある。