マタイによる福音書

マタイ2112-17

 

イエス様は、神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒されました。

 境内では、目の見えない人や足の不自由な人たちがそばによってきたので、イエス様は癒されました。こうして、礼拝できる者とされたのです。子どもたちも、イエス様に向かって、「ダビデの子にホサナ」と言いました。イエス様は、「幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美を歌わせた」という言葉を読んだことがないのか、と言います。数にもはいれなかった子どもたちも、神さまを賛美し、礼拝する者へとかえられたのです。

 私たちは、イエス様の十字架の罪の赦しによって、イエス様の復活によって新しい歩みが赦されています。いま誰もが、大きい小さいかは関係なく、一人一人が限りなく尊い存在とされています。そのことを喜び、毎週の礼拝を、心から神さまを賛美し、聖書の言葉に耳を傾け、お互いに分かち合う事を実践してゆきたいと思います。

 

黙想

・「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」は、イザヤ567

・わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目には強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり。わたしにもそう見える、と主は言われる。エレミヤ711

14-16節は、マタイによる福音書のみに出てくること。目の見えない人や、足の不自由な人は、神殿の庭までしか入れず、礼拝できなかったとされる。

・境内で子どもたちが、イエス様を賛美する。数にも入れなかった、無力なものが、今は礼拝できるようにされている。本来、誰もが神さまを礼拝する者として招かれている。

 

・大きい、小さいは関係ない。一人一人が限りなく尊い存在とされている。価値を決めるのは、人間ではなく、神さま。