マタイによる福音書

マタイ91-8

 

中風の人は、動くことができませんでした。イエスのところに行きたくても、自分の力で行くことができません。しかし、助けてくれる人たちがいました。驚くのは、イエスはその人たちの信仰をみて、この病気の人に「あなたの罪は赦された」と言ったことです。この病の人は、運ばれてきただけですから、特になにもしていないのです。にもかかわらず、運んでくれた代わりの人たちの信仰をみて、癒されてしまったのです。

 教会の歩みとは、このような歩みではないでしょうか。動けない時、泣けない時、誰かが共に泣いてくださる人がいる。共に苦しんでいる人がいる。かわりに祈ってくれる人がいる、ということです。私たちは、自分の力のみで生きることはできません。時に助け合う、仲間たちが必要です。神さまは、私たちに、助け合う心を求めておられるのです。

 

感想

・「子よ」とは、親子のような親しみをこめた、慈しみ深い子ども

・中風の人は、病は自分の罪、先祖の罪、誰かの罪でなったと自分を責めていたかもしれない。しかし、イエスによって「あなたの罪は赦された」といわれた。

・あなたの罪は、複数形になっている。一つの罪ではなく、たくさんの罪。

・自分の街とは、カファルナウム。伝道の拠点だった。

・嵐を静め、悪霊を追い出す方は、罪を赦す権能も持っていた。

・元気を出しなさいと、安心しなさい(マタイ1427)、は同じ言葉。

・マタイ98には「群衆はこれを見て恐ろしくなり、人間にこれほどの権威をゆだねられた神を賛美した」と書かれている。人は複数形で書かれている。後の教会にも、罪を赦す力が与えられたことを示しているのかもしれない。

 

・この病の人は、4人の人たちの信仰によって癒された。愛された人だった。教会の助け合いとは、そのようなものであろう。