聖書のお話し


マタイ510-12

義のために迫害された人々は、幸いである/天の国はその人たちのものである。私のために、人々があなたがたを罵り、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

 

神の子らしく生きてく時に、迫害されることがあります。社会と摩擦するときがあります。それは、自分は正しいから何を言ってもいい、ということではありません。自分は義ではなく、あくまでも、義はイエスです。イエスのために生きる、イエスの子らしく生きるということです。イエスの子らしく生きるとは、一人一人を「あなたは、かけがえのない大切な存在」ということです。それに反対する声があがるときがあります。社会は、勝ち組、負け組というように、社会で成功した人たちだけを尊びます。しかし、イエスにとっては、そのようなことは関係ありません。一人一人が、かけがえのない大切な存在なのです。

 過去のキリスト者たちがあびた激しい迫害もありますが、いまは、この日本でおこりうる迫害を考えてみます。一人一人をかけがえのない存在というときに、ある人は、「成功した人だけが価値がある」と、反論してくることがあります。そのときに私たちは断固として、神の子らしく、一人一人に価値がある、といっていいのです。そこで、意見がぶつかりあうときがあります。しかし、一人一人の命を守る事。一人一人の尊厳を守る事。その使命に、キリスト者たちは、招かれているのです。

 

メモ欄

・義とは、神の子としてのふさわしさ、神の子らしさ、神の子としての誇りであろうか。

1ペトロ314で「しかし、義のために苦しみを受けることがあっても、あなたがたは幸いです。彼らを恐れたり、心を乱したりしてはなりません。」と書かれている。

・義とは、神さまの正しさという意味。

・旧約聖書では、ホセア1012で「あなたがたは正義のために進んで種を蒔き/慈しみの実を刈り入れよ。/新しい土地を耕せ。/主を求める時が来た。/主はやがて来られ/あなたがたを義で潤す。」と書かれている。

 

・イザヤ4221では「主はご自分の義のために/教えを偉大なもの/威厳あるものとすることを喜ばれた。」と書かれている。