聖書のお話し


マタイ521-22 聖書協会共同訳

「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、私は言っておく。きょうだいに腹を立てる者は誰でも裁きを受ける。きょうだいに『馬鹿』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、ゲヘナの火に投げ込まれる。

 

 律法の一番の問題は、相手を裁くことです。イエスは、腹を立てたり、馬鹿といったり、愚か者といったりするものは、裁かれるといっています。

 イエスを裏切ったユダは、最後に自殺します。自分の犯した罪にたえられなくなったのです。しかし、ペテロは、イエスを三度否認したのにもかかわらず、自分を赦しました。自分を自分の手で裁かなかったのです。

 律法で一番大切なのは、愛です。「あなたはかけがえのない大切な存在」とよぶことです。隣人を自分のように愛することです。それが、なによりも優先されるのであり、神さまが喜ばれることなのです。

 隣人と喧嘩していたら、和解しましょう。その力は、神さまが与えて下さいます。そしてなによりも、自分と和解しましょう。自分を赦さなければ、他人も赦すことが出来ません。ペテロのように、復活したイエスに出会い赦されたように、自分を赦しましょう。そして、隣人に愛とぬくもりのある言葉をかけましょう。

 

メモ欄

「殺してはならない」は十戒の第六の戒め。

・イエスは律法を完成させるために来た。

・律法学者やファリサイ派の人々にまさる義とは何か、517-48に書かれている。

・殺すなという消極的な命令を、和解させよという積極的な命令であらわしている。

・人間の和解も、すなわち、神さまとの和解でもある。

・イエスは命令として与えるだけではなく、ご自分をささげて、和解させてくださった。私たちはイエスによって、神と隣人と和解することができる。

・律法の一番の問題は裁くこと。ユダは、イエスを裏切り、自分自身を裁いた。一番の問題は、自分を裁くこと。ペテロもイエスを裏切ったが、自分自身を赦した。

 

・最も優先されるのは、マタイ524で書かれているように愛(和解)である。それから、供え物を捧げなさい、と書かれている。