マタイによる福音書

マタイ1016-25 新共同訳  

16 「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。

17 人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院(注・地方のユダヤの法廷)に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。

18 また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。

19 引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。

20 実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。

21 兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。

22 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

23 一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る。

24 弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。

25 弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。」

 

蛇のように賢く、鳩のように素直になりさい、とイエス様は言われました。オオカミの中で、堂々と蛇のままで生き、鳩のような神さまにより頼む素直さの、両方をあわせもっていなさい、ということです。日曜日に、鳩のように教会にかえってきて、平日は蛇のようにたくましく伝道する、ということです。

 19節で「心配してはならない」といいます。福音宣教していくうえで、聖霊の力によって、一人一人が支えられているからです。決して一人ではありません。私たちは、家族のようなものだと、イエスはおっしやってくださるのです。助け合い、支え合って、神の子としての使命を果たしてゆけますように。

 

感想

・マタイ福音書が書かれたころ、すでに迫害がはじまっていた。

16節の「オオカミの群れに羊を送り込むようなものだ」とは、私たちに恐れが不安がある。それが、なくなってから伝道するのではない。たとえ恐れや不安があっても、その中でも伝道することに、弟子たちの使命がある。

・蛇のような賢さとは、オオカミの中で羊は羊として生きる賢さ。どこまでも、オオカミになろうと契合するのでもなく、蛇は蛇のままですり抜けていく賢さであろう。

・鳩のような素直さとは、自分の力に頼むのではなく、神さまを信頼する素直さ、純粋さ。

23節に「一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい」とある。一つの場所に留まることが忍耐ではなく、場所を変えても良いのである。

25節で「家族の者」とある。イエスは私たちを他人ではなく、家族の者と呼んでくださっている。

・創世記88以下にも、鳩がでている。自分の知恵に頼るのではなく、ただ神さまの導きに頼り、主人のところに戻って来る。鳩だけの素直さだけでは、伝道できない。蛇のように、オオカミの間をすりぬける勇気も必要である。