マタイによる福音書


マタイ1810-14

 

ある人が100匹の羊をもっていました。ところが、一匹の羊が迷子になってしまいました。99匹を山に残して、迷い出た一匹を探しにいかないだろうか。神一人一人は、自分の興味のために、脇道へそれていくかもしれません。または、他の人より劣っているので、スピードについていけなかったかもしれません。どのような理由であれ、神さまは、弱い一匹の羊を愛し、守り、探してくださるのです。

 私たち一人一人は、神さまからみたら「かけがえのない、大切な存在」なのです。損得を考えたら、一匹くらいどうなつてもいいとなるはずですが、神さまは、そうなさらないのです。神さまはすべてを捨てて、私たちを探してくださるのです。神さまにとって、私たちは自分の息子や娘のような存在なのです。もし迷子になったとしたら、放っておけないのです。

 

黙想

・迷い出た一匹の羊は、みんなについていけない弱さを抱えていたのかもしれない。

・迷い出た一匹の羊は、脇見をして、自分の罪で、羊飼いと違う方向に関心をもってしまったのかもしれない。

・迷い出た一匹の羊は、私たち一人一人なのかもしれない。それでも、そんな迷い出た一匹の羊をイエス様は探し出し、愛し、救ってくださるのである。

・人間は、できる人、できない人に振り分けてしまう。社会の中で、有能なのか、有能でないのか、振り分けてしまう。そのような罪が、人間社会の中にある。誰もが、一人一人、神さまに愛されているのである。

 

・自分は強いという傲慢さを捨てるとき、人は驚くほど自由になれます。自分の弱さを認め、等身大の自分を喜んで生きられることに、幸せにする考え方があるのです。