マタイによる福音書


マタイ614-15 聖書協会共同訳

もし、人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」

 

イエスは、繰り返し、「人の過ちを赦すなら」といいます。私たちは、自分の弱さ不完全さを知っていたなら、相手に間違っている、といえないはずです。まだ相手に厳しいのなら、自分の弱さを知っていないからです。誰もが、神さまに赦されなければならない存在なのです。相手を赦さないなら、私たちの罪も赦されません。神さまは、はっきりした方。赦されたいなら、赦しましょう。

 そして、他人も赦すことは大切ですが、自分も赦しましょう。たとえ不平や不満をいっても、神さまはわたしたちを愛する方。不平を言わないのが一番ですが、不平さえも神さまは聞いてくださるのです(出エジプト16789参照)。天のお父さんは、それほどまで私たちを愛してくださる方。神さまに赦されていることを信じ、自分を赦しましょう。

 

メモ欄

・主の祈りの第五の嘆願が、繰り返されている。

・イエスの支配とは、神に赦されて生きるということ。

・私たちは赦されるためにゆするのではなく、赦されているから赦す

 

・イエスの十字架と復活によって、私たちの罪は赦された。それを信ずるものは、誰もが神に赦されるのである。