子どもと聖書のお話し


マタイ8章

1 イエスが山を下りられると、大勢の群衆が従った。

2 すると、一人の重い皮膚病を患っている人がイエスに近寄り、ひれ伏して、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。

3 イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち、重い皮膚病は清くなった。

4 イエスはその人に言われた。「だれにも話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めた供え物を献げて、人々に証明しなさい。」

 

重い皮膚病の人は、当時、みんなから外されて生活していました。律法によって、汚れたものとされ、誰も近づきたくありません。しかし、イエスは違いました。どんな病気をかかえていようとも、目の前にいる一人一人を愛されました。重い皮膚病の人は、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言いました。イエスにとっては、身体的な汚れ等関係ありませんでした。イエスは、「よろしい。清くなれ」と言いました。私は、「あなたなんて汚れてなんかいない。私はあなたを愛している」と聞こえてきました。こうして、一人の社会から外されていた人が、再び、社会に受け入れられるようになりました。イエスにとっては、どんな病気であろうと、律法によって汚れた者とされていようと、目の前の一人一人の命を大切にされました。イエスは、私たちも「神さま、罪を犯しましたが、赦してください」というとき、「よろしい。清くなれ。あなたを赦す」といってくださるのです。

 

メモ欄

・重い皮膚病の人は、恐ろしい伝染病の一つだったので、律法から汚れたものとされていました。社会から隔離された場所で生活していました。けれども、イエスには関係なく、その人を受け入れました。

・重い皮膚病が治ったかどうかの判断は、祭司にまかせられていました。治ったかどうかの証明は祭司にあったのです。

 

・律法によって、イスラエルに受け入れられない人が、再び共同体に受け入れられる物語です。次に続く、百人隊長の僕のを癒す物語は、異邦人という理由で疎外されていた人たちを受け入れる、という共通点があります。