聖書のお話し


「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また体のことで何を着ようかと思い煩うな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥を見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。まして、あなたがたは、鳥よりも優れた者ではないか。あなたがたのうちの誰が、思い煩ったからといって、寿命を僅かでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い煩うのか。野の花がどのように育つのか、よく学びなさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、あなたがたは、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い煩ってはならない。(マタイ625-31)

 

 道端に咲いている花も、花壇に咲いている花も、みんな神さまに愛されて、優しく咲いています。いろいろな色があり、近づいてみると美しいです。花の前に立ち止まって、しばらくゆっくりしてみてください。すると、花が笑っているようにみえませんか。遠くに旅行などしなくても身近なところに、神さまの創った美しい世界が広がっています。

 神さまは、「野の花、空の鳥」のように、先の事を考えて心配しなくて大丈夫だよ、と伝えていてくれます。安心して、毎日のびのびと生活していいんだよ、と伝えています。でも、私たちはときどき、友だちと比べてしまいます。「わたしのほうが、愛されているんだから」と、愛をほしがってしまいます。でも、神さまは、ひとりひとりを特別に愛しています。みんなは、神さまのこどもで、わたしたちはみんな、家族なのです。ですから、誰が愛されているかなんて比べ、心配しなくてもよいのです。みんな、神さまに一人一人愛されているのです。

 空の鳥も、毎日、精一杯生きています。自由な空を羽ばたいています。どれだけお金持ちになろうか、と悩んでいません。毎日、生きることだけで一生懸命です。前のことだけを見つめて、全力を尽くしているようです。私たちも、友だちがあのゲームを持っているから欲しくなったり、あれもこれも欲しくなったりします。でも、いくら物があふれていても、人は幸せになれません。たとえ、小さな石ころだったとしても、美しかったとしたら、宝物になるのです。友達が与えられていること、今日神さまに生かされていること、そっちのほうが、ずっとずっと大切なことだと思います。

  大自然のなかで、神さまの愛に私たちは包まれています。一人一人が神さまにとって宝物です。そのことを覚えて、生活してゆけたらいいですね。

 

メモ欄

・命とは、魂とも翻訳できる

・だから言っておくとは、前の、財産やお金に頼って生きていく生き方ではなく、神さまにより頼むことが、神さまを主人とする生き方であろう

・神の国とは、神さまの支配を求める生き方。神の支配があるからこそ、私たちのひごとの糧や必要な者は、すべて与えられる。

・神の義とは、神さまの御心を求める生き方

・一日一日を精一杯いきること。明日は、神さまにゆだねて、神さまを信頼すること。人間にできることは、最善を尽くして、あとは祈ることである。