マタイによる福音書

マタイ1923-30

 

金持ちが、天の国に入ることは難しいといいます。これは、絶対に人間に無理なこととして、教えているのでしょうか。自分のための財産を、すべて放棄せよとイエス様は言っておられないと思います。ただし、財産により頼むな、ということでしょう。財産があれば、神さまの恵みも感じられなくなります。財産が守ってくれるから、神さま二の次になるのです。それに対して、子どもは無力な存在ですから、いつも自分を守ってくださる存在に目をとめます。

 私たちは、自分の力で自分を救うことはできないのです。ただイエス様が十字架にかかって、贖ってくださったことにより、救いの道は開かれたのです。天の国に召されるまで、隣人愛で自分の執着やプライドを放棄し、自分自身を日々乗り越えながら成長していくことだと思います。

 「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。」(マタイ16:24

 

黙想

・イエス様は、「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」と言われます(マタイ1923-24)

29節では、肉親だけが家族ではない。キリストの名のためにすべてを捨てた人は、世界にいるすべての人が、家族になる。また、自分の家への執着を捨てたとき、世界のどこにいても、天のお父さんがいてくださる。世界が私たちの家なのである。

 

参考リンク

片柳弘史神父のブログ。

 

https://hiroshisj.hatenablog.com/entry/20080602/1212409673