マタイによる福音書

マタイ1916-22

 

イエス様が子どもを祝福し、天の国はこのような者たちのものである、と言われてから、一人の青年が近寄って来て言いました。「先生、永遠の命を得るためには、どんな善いことをしたらよいんですか」。青年は、律法を守り、隣人を自分のように愛してきました。でも、心が満たされません。イエス様は、「もし完全になりたいなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に冨を積むことになる。それからわたしに従いなさい」と言われます。青年は、この言葉を聞き、悲しみながら立ち去ったとあります。たくさんの財産を持っていたからです。

 財産があると、自分の思い通りに動いてくれないと、不満になってきます。自分があたかも神さまのようにたって、相手をこき使います。自分は財産があるから、と傲慢になってしまうのです。その後の青年は、悲しみながら立ち去りましたが、分かち合います、と言えばよかったのです。財産があることは悪いことではありません。しかし、人は物をわかちあうときに、本当に幸せにしてくれるのです。自分の手元には何も残らなかったが、喜んでくれる人がいたと、天国に幸せに帰ってゆけるのです。

 

黙想

・青年は財産という安定した土台をもっていた。

・イエス様は、持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい、そうすれば天に宝を積むことになる、と言われました。

・青年は、この言葉を聞き、悲しみながら去ってゆきました。たくさんの財産を持っていたからです。

・青年は、財産に執着していたのかもしれない。財産を誇り、他人を見下ろしていたのかもしれない。また、財産のあるところには、必死で自分を守ろうとして、恐れや不安が生まれてしまう。

・自分と神さまとの間を隔てる者はなんでしょうか。財産、知恵、能力、病気、弱さでしょうか。

・イエス様は、子どものようになりなさい、と言われました。自分の無力さを認め、神さまに委ねることです。誇ることが何一つない子どものようになり、できるかぎりにおいて、物をわかちあい、貧しい人たちとわかちあいたいと思うのです。物をわかちあい、愛し合うときに、本当の喜びが生まれるのです。