マルコによる福音書


マルコ333-37

 

イエス様の弟子たちは、誰が一番偉いか議論していました。そこでイエス様は、「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」と言われました。一番偉い者とは、すべての人の後ろにたって、自分を捨て誰かを愛する者です。陰で、他人の幸せを祈り、他人の苦しみを自分の苦しみとする人です。

 では、どうしたらそうなれるのでしょうか。それは、神さまに愛されている自分に満足することだと思います。「仲間の中で一番偉くなりたいとは思わない。イエス様にそばにいるだけで幸せ、イエス様に仕えられるだけで幸せ」。神さまの愛に、今日満足することが、人を幸せにする考え方なのです。

 

黙想

・一行はカファルナウムに来ました。

・家についたとき、イエス様は弟子たちに、途中で何を議論していたのか、と尋ねます。

・彼らは黙っていました。途中で誰がいちばん偉いかと、議論していたからです。

・イエス様は、一人の子供を抱き上げて言われました。「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」

・自分が偉くなりたいと願う弟子たちに、イエス様は語りかけました。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」と。

・欲望を剝き出しにして、自分の欲望を満たそうとする人は、少しも偉くないのです。

・偉い者とは、優しい人です。すべての人に仕える者となって、他人の幸せを祈り、自分を捨て誰かを愛するやさしい者が、一番偉いのです。

 

参考リンク

片柳弘史神父のブログ、バイブル・エッセイを参照しました。

 

https://hiroshisj.hatenablog.com/entry/20180923/1537705226