マルコによる福音書


マルコ19-11

 

故郷のナザレを出発して、ヨルダン川でヨハネから洗礼をイエス様は受けられました。イエス様は、罪も一つもなかったのに、私たちと同じようになられ、へりくだって、洗礼を受けられたのです。

 あるがままの姿を神さまに愛されて、イエス様はとても喜んだことでしょう。イエス様はこの時、30歳くらいで、当時としては立派な大人でした。それまでは、大工の子として、謙遜に普通の生活を送られていたでしょう。母マリアとの、家族の喜び、家族の大切さを知っていたことでしょう。

 洗礼は、私たちも受けることができます。洗礼とは、ありのままの姿を神さまから愛され、罪が赦されることです。「あなたの人生は間違っていない。愛されているから、もう大丈夫だ」と確信して、自分らしく歩んでいってよいのです。洗礼は、新しい出発の一歩。信仰生活を共に楽しんでゆきましょう。

 

黙想

・洗礼者ヨハネから洗礼を受けられた時、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえました。

・ありのままの姿を主イエスは愛されて、どんなに喜んだことでしょう。洗礼の喜びが、ここにあります。

・イエス様だけでなく、私たちも洗礼を受ける時に、信仰生活の中で、何度でも繰り返し、「あなたは私の愛する子」という声が聞こえてくるはずです。

 

・イエス様は、罪は一つもありませんでした。それなのに、私たちと同じように洗礼を受けられました。高みから見下ろす教師ではなく、へりくだって、死に至るまで従順に生きられました。