マルコによる福音書


マルコ1533-41

 

百人隊長は、イエスが息をひきとられるのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と告白しました。マルコによる福音書は、この言葉を私たちが告白するために、書かれたといっても、いいすぎではありません。マルコによる福音書は、「神の子イエス・キリストの福音の初め」(11)という書き出しで始まり、終わりのクライマックスで、異邦人の百人隊長は、「神の子だったと告白するのです。」

 百人隊長は「このように」息をひきとられるのを見て、とあります。「このように」とは何でしょうか。おそらく、イエス様の十字架を朝からずっと見続けていたのだと思います。マルコ福音書には記録されていませんが、他者を赦すとりなしの言葉(ルカ2334)、「父よ、わたしの霊を観手にゆだねます」(ルカ2346)などを聞いていたかもしれません。しかし、決定的な理由は分かりません。私たちも、信仰を持った理由など聞かれても、「聖霊のおかげ」とか「神さまの導きのおかげ」と言うのではないでしょうか。いつも、神さまが先だって働いてくださるのです。私たちのために、神さまは準備してくださるのです。

 

 そして、女性たちのことがでてきます。「また、婦人たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。なおそのほかにも、イエスと共にエルサレムへ上って来た婦人たちが大勢いた。」(マルコ1540-41)。マルコ福音書では、161節で最初のイエス様の復活の証言者として、3人の名前が書かれています。おそらく初代教会で、教会を支えていた人物であったかもしれません。イエスに仕えていたとは、教会にも仕えていたと思われます。