マルコによる福音書


マルコ15・1-5

 

イエス様は、ピラトの前で、ほとんど沈黙なさいます。すべてを、神さまに委ねて、「すべてのことは、神さまのまま」にしました。

おそらく、自分の無罪を訴えたら釈放されたでしょう。しかし、そうであれば、イエス様の十字架による罪の贖いの業は完成されません。イエス様は、十字架への道を歩まれたのです。それは、私たちの罪をあがない、赦すためです。

イエス様の沈黙は、愛の沈黙なのです。私たちも、騒がしく祈る事だけを祈りだと思います。しかし、祈りとは、神さまのささやく声に耳をすますことだともいえます。神さまは沈黙の友なのです。沈黙は祈りを生み出し、祈りは愛を生み出すのです。信仰には、沈黙が必要なのです。神と向き合う、静けさが必要なのです。