マルコによる福音書


マルコ143-9

 

イエス様は、人間のできるかぎりの奉仕を喜んでくださいます。上手にできなくても、たとえ下手であったとしても、精一杯してくれた奉仕を喜んでくれるのです。私たちは、自分は何もできないのではないか、と恐れてしまいます。失敗をしないか、もしくは、自分は無能だから、何をしても神さまは喜んでくれないと、誤解するのです。

 無能だというのは、自分がこうでなければならない、と思い込んでいるからです。「こうでなくても、神さまはわたしを愛してくださるから大丈夫」だとわかるとき、人は自由になって、挑戦して生きることができます。自分を苦しめていたのは、他人ではなく、自分自身だったのです。失敗してもいいのです。何度でも、神さまは赦してくださるからです。だから安心して、挑戦し続けることができるのです。

 

黙想

・イエス様が、シモンの家にいた時。

・ナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけました。

・弟子たちは、貧しい人たちに施したほうがよかったのにと、文句を言いました。

 

・イエス様だけは、この人はできるかぎりのことをした。つまり前もって、わたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた、と言いました。