マルコによる福音書

マルコ223-28

 

ある安息日に、弟子たちは歩きながら麦の穂をつみはじめました。ファリサイ派の人たちは、安息日に労働してはならないと教えていたので、なんでそんなことをするんですか、と言われました。それに対して、ダビデが神の家に入り、祭司のほかに食べてはならない供えのパンを食べたのではないか、と答えられました。

 イエス様こそ、安息日の主です。イエス様こそ、あらゆる時間の中で聖なるものであり、時間の頂点です。狭い考えで、イエス様との時間をせきとめてしまわないように、広い考えにたって、あたりを見渡してゆきましょう。

 

黙想

・イエス様は、自分こそ「安息日の主である」と言われました。

・イエス様こそあらゆる時間の中で聖なるものであり、イエス様こそ時間の頂点です。

・時間の使いかたを考える時、限られた時間のなかで、何をしたのか、何ができたのかを考えてしまう。しかし、大切なのは、どれだけイエス様に出会えたのか、ということ。

 

・狭い考えで、イエス様との時間をせきとめてしまわないようにしたいと思います。